こんにちは、りりーです。
私が好きで好きでたまらないピアニスト、フジコ・ヘミングさん(以下、敬称略)のエッセイです。
本屋さんで目にした瞬間手に取って中身をサッと見て即買いました。
これ、どこにでもある成功者のサクセスストーリーでしょ??(´・ω・`)
と高を括るのはちょっと違います(成功は収めてますが)。
フジコ・ヘミング、有名になったのは40代後半の話です。
ピアニストとしては大変遅い年齢です。
それまで、彼女は何をしていたか。
第二次世界大戦から現在まで生き抜いてきたフジコ・ヘミングの在り方を知るだけで、
不思議と私たちも生きる勇気と力が湧いてくるのを実感できます。
この本は、芸術やビジネスなど努力を継続しているのに成果が出なくて落ち込んでいる人におすすめです。
『やがて鐘は鳴る』はこんな感じ!
まずは全体像をまとめてみました。
- 文の口調:語り口調、気が強い淑女(フジコ・ヘミングですし…)
- 明るさ:★★(生きてきた時代背景的に暗い)
- 読みやすさ:★★★★★(小6でも読める。戦中の歴史理解は要)
- ページ数:166ページ(短時間でさっと読める)
- 本を一言で表すと:夢をあきらめてはいけない、強くあれと教えてくれる本
人生を振り返っているので、恋の話や弟さんへの想いも綴られています。今回の記事では触れていませんが、かなり情熱的です。
内容をかいつまみ!
フジコ・ヘミングの生い立ち
ピアニスト大月投網子(おおつき とあこ)とスウェーデン人の画家・建築家ゲオルギー・ヘミング・フリッツ・ジョスタとの間に生まれた女の子、フジコ・ヘミング。
日本で生まれたフジコ・ヘミングは、幼い頃から母の手ほどきでピアノを学ぶ。
(ちなみに物凄く厳しく、母は死ぬまで怖い存在だった)
時は第二次世界大戦。
日本にいられなくなった父は母国スウェーデンへ帰国する。
残されたのは、母と、フジコ・ヘミングと、弟(大月ウルフ)。
外国人の顔立ちだからと戦中の疎開先でのいじめ。
貧しい暮らし。
そして10代で中耳炎をこじらせ、手術後に右耳の聴力を失う。
東京藝術大学に入学、その後ドイツに留学する。
ピアニストとしてウィーンでのリサイタルまで取り付けるが、
直前に聴力を失い(つまり両耳がやられた)、そのままリサイタルを決行。
しかし、その後すべての日程がキャンセルとなり、どん底に突き落とされる。
日本には帰れず(母からピアニストとしている場所はないと宣告される)、ヨーロッパを転々として暮らす。
ピアノを演奏し、教える傍ら、病院で看護助手も担ったこともあった。
生活費を稼ぐのに精いっぱいだったフジコ・ヘミング。
そして母が亡くなり、日本に帰国。
ひょんなことからNHKが取材に訪れて、ドキュメンタリー番組で一躍有名になる。
フジコ・ヘミング、40代後半に差し掛かっていた。
難聴を乗り越える
16歳。中耳炎をこじらせ、手術を受けるフジコ・ヘミング。
戦後の混乱期。医療は確実とは言えず右耳の聴覚を失う。
学校の授業でも、先生の言ってることがよく聞こえない。まして、ピアニストを志しているのに、右耳の聴覚を失うなんて……。
「自分はもうダメだ。音楽家としての道はおしまいだわ……」
絶望のどん底に突然、突き落とされたような気持ちで、毎日を不安な気持ちで過ごしていた。
16歳という多感な時期、そして音楽の道を歩むのに聴力を片方失う。フジコ・ヘミングにとって精神的に大打撃でした。
それでも母の厳しい特訓は続きます。フジコ・ヘミングは、聞こえる方の耳に神経を集中させて練習に励み、この試練を乗り越えます。
そして、当時をこのように振り返りっています。
「私も逆境に対して強くなれた」
「ひとつのことに向き合い、つらさを乗り越えれば、きっと結果はついてくると学んだわ」
こう語るフジコ・ヘミング。その後東京藝術大学に入学を果たしています。
失意から救ってくれたもの、それは…
フジコ・ヘミングはピアニストとして花開く直前に聴力を失い、リサイタルがキャンセルになり、失意のどん底に落とされます。
ウィーンからスウェーデンに引越し、耳の治療に専念するフジコ・ヘミング。
聴力がないのでピアノを弾くことがなかったと語ります。
ウィーンでのことを思い出しては、クヨクヨしてばかり。そんな失意の日々を慰めてくれたのは、数匹の拾ってきた猫たちだった。
フジコ・ヘミングは犬や猫など動物を拾ってきて世話をするのが好きだった。
「ただただ、一緒にいてくれるだけで、心が癒された」
そうして過ごす内に、フジコ・ヘミングは少しずつ耳が聞こえるようになってきます。
約2年間かけて、聴力を取り戻していきました。
ほぼ同時期にスウェーデン国籍も取得。40代になろうとしていました。
読んだ感想
どんな逆境にもめげずに生きる
ピアニストとして生きようとしているのに、耳が聞こえなくなるとか、
想像するだけで耐え難い
というのが私の気持ちです。
自分だったら、って考えると橋の上から身を投げ出したくなる思いです(なぜなら私もピアノが好きですから…)。
それでも、フジコ・ヘミングは生きてきた。絶望の淵に立たされていたとしても。
あきらめてピアノを断念していたら、現在の私はなかった。どんなかたちであれ、どこかに認めてくれる人が絶対にいる。それがこの世の中に出てくるか、次の世の中に出てくるか、わからない。けれど、待っていれば必ずやって来る。
二度、聴力を失う経験があって二回とも自分がやるべきことをやっているフジコ・ヘミング。
その姿勢から、どんな逆境でもめげずに、ただひたすら前を進むことの大切さを教えてくれるように思えます。
母、大月投網子という強い存在
正直に言ってこの存在を語らずにはこの本もフジコ・ヘミングも語れないです。
自身の子であるフジコ・ヘミングを平気で「バカ、アホウ」「猫ババア」と罵る存在です(恐ろしい)。
気性が荒く、誰にでもハッキリと意見を言うような方だったそうです。
フジコ・ヘミングもドイツに住んでいた時、住人からいちゃもんつけられて毅然と言い返したというエピソードでも「母に似たのかしら」と語るほどです。
音楽家など芸術に秀でた人ってなぜかひと癖ふた癖あって、お母さんもそんな存在だったのかと思います。
ただ、決して悪いことではないです。
強く生きるために自分の考えを主張し、時には牙を剥くような勢いも必要なんじゃないかと思い知らされました。
むしろ、攻撃性が失われつつある現代だからこそ、いざという時の負けん気が際立つような気もします。
おススメ度:☆☆☆☆
記事の冒頭に書きましたが、努力しても成果が得られず落ち込んでいる人にはおすすめの一冊です。
夢をあきらめてはいけない、どん底に落ちても這い上がれることを教えてくれます。
もちろん、フジコ・ヘミングが好きな人間ならぜひ読んで欲しいと思います。
ただ、人間の生き様にこれっぽっちも興味を持たない人は不向きな本です。
フジコ・ヘミング自身の語りで書かれているので、語り口調が苦手な方は読んでいて飽き飽きしてくるかもしれません。
まとめ
要点をおさえるとこんな感じです。
- フジコ・ヘミングは決して順風満帆な人生ではない
- 聴力を失っても、めげずに生きている
- 母の存在が強し
- どん底でも這い上がれる、夢をあきらめない
どんなに無念でも、失意に打ちひしがれても、生きること。
それが一番大事なんじゃないかと思います。
最後に、この本で一番好きなフレーズを書いて終わりにしたいと思います。
「遅くなっても待っておれ、それは必ず訪れる」
人生に光は、射します!
それではっ